この作品は、1892年に生誕300周年を迎えたコメニウスを祝う演奏会のために作曲された。
或る管弦楽作品のピアノ連弾版を作曲者自身が作ることはフィビヒの場合もよく見られることだが、この作品はその両方の版が同じ時期に初演を迎えている(管弦楽版は1892年3月26日プラハにて、ピアノ連弾版は翌27日ロウトニツェにて。同日にピーセクにても上演)。
曲の構成は、通常のソナタ形式。
序奏に続くコラールは、コメンスキーが編纂し1659年にアムステルダムで刊行した賛美歌に拠っている。
このコラールが始まって6小節目(第19小節)の第1オーボエに出てくる "A-B-H-C-C-C-F" の音形は、様々に形を変えてこの序曲全体にわたって登場する。
再現部の第2主題が終わると、再びコラールが登場する。冒頭での引用では短音階的和声を伴う厳かな曲調であったのと対照的に、ここでは長音階的和声を伴って明るく力強く鳴り響く。ここでもコラールは度々中断し、第1主題、第2主題の断片が挿入される。
より詳細な解説は、「国際マルティヌー協会日本支部」のメール会報「マルティヌー通信 第2号」にて公開。
コメンスキー [Jan Ámos Komenský, 1592-1670](筆名としてはチェコ語名ではなく「コメニウス」[Johan-Amos Comenius] を使用した)はチェコの宗教改革者で教育思想家。近代教育学、特に教授学の祖と言われる。
モラヴィアに生まれ、ドイツのカルヴァン派の大学で神学を学び、帰国後にはフス派の流れをくむ「チェコ兄弟団」の聖職に就き、その後指導者となった。三十年戦争によりボヘミアから亡命しヨーロッパを流浪。この間預言者コッターに出会い千年王国説に影響を受けた。また、未来世代としての可能性を秘めた子供への期待に開眼し、神の国の地上での実現に情熱を燃やした。
亡命初期に刊行した「言語学入門」(1631) などで主に言語教育の革新者として高名になった。
全ての国の男女が同一の言語によって、階級差別のない単線型学校制度に於いて学問のあらゆる分野を統合した万人に共通必須の普遍的知識の体系(コメンスキーは「パンソフィア」 [pansophia] と名付けた)を学ぶ必要性を説き、その体系化に精力を注ぐと共に、それを確実に身に付けるための合自然の教育法を追求した。
著書の一つ「世界図絵」(1658) は世界初の絵入り教科書であり、視覚教材の重要性を先取りしたものとして名高い。(「東欧を知る辞典」より抜粋・要約)