西暦 | 出来事 | 関連事項 | 主要作品 |
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1791 |
ヤン・フゴ・ヴォジーシェク誕生(5月11日)。洗礼名はヤン・ヴァーツラフ。 |
マイアベーア誕生(9月5日)。 W.A.モーツァルト死去(12月5日)。 |
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1792 |
ロッシーニ誕生(2月29日)。 フランツ二世、神聖ローマ帝国皇帝に即位。 |
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1795 |
パリ音楽院創立。 「第三次ポーランド分割」によりポーランド滅亡。 J.A.ベンダ [CS:Benda, Jiří Antonín | DE:Benda, Georg Anton] 死去(11月6日)。 |
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1797 |
シューベルト誕生(1月31日)。 ドニゼッティ誕生(11月29日)。 ハイドン 「皇帝賛歌《神よ、皇帝フランツを守り給へ》」 |
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1798 |
病気になった兄の代役として、ボヘミア中部ゴルチューフ・イェニーコフの教会オルガニストを6ヶ月間務める。 |
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1800 |
ベートーヴェン 第1交響曲 op.21(1799〜) |
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1801 |
C.スタミツ(シュターミッツ)[Stamitz, Carl] 死去(11月9日)。 |
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1802 |
プラハのグラマー・スクールで学ぶ(〜1813)。 |
ベートーヴェン 第2交響曲 op.36 |
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1803 |
ベルリオーズ誕生(12月11日)。 ヘルダー死去。 ベートーヴェン 第3交響曲《英雄》 op.55 |
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1804 |
トマーシェクに短期間師事する |
カント死去(2月12日)。 ナポレオンがフランス皇帝に即位(5月)。 神聖ローマ帝国皇帝フランツ二世、オーストリア帝国皇帝フランツ一世として即位(8月)。 フンメル、ハイドンの推挙によりエステルハージ公爵家の宮廷楽長に就任。 |
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1805 |
シラー死去(5月9日)。 ボッケリーニ死去(5月28日)。 トラファルガーの会戦。 ハプスブルク君主国、アウテルリッツの会戦(12月)で大敗を喫し、ティロールなどを失う。これによりハプスブルク家の勢威は後退する。 |
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1806 |
ドイツの中小邦が神聖ローマ帝国を離脱し、ナポレオンの肝煎りにより成立したライン同盟に参加した。これを受けてフランツ二世が退位し、神聖ローマ帝国消滅。 ベートーヴェン 第4交響曲 op.60 |
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1807 |
ベートーヴェン 第5交響曲《運命》 op.67 |
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1808 |
ベートーヴェン 第6交響曲《田園》 op.68(1807〜) |
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1809 |
メンデルスゾーン誕生(2月3日)。 ハイドン死去(5月31日)。 |
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1810 |
ショパン誕生(3月1日、但し諸説あり)。 シューマン誕生(6月10日)。 |
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1811 |
プラハ音楽院創立。 リスト誕生(10月22日)。 |
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1812 |
ヴィーン楽友協会設立。 ベートーヴェン 第7交響曲 op.92(1811〜) ベートーヴェン 第8交響曲 op.93 仏皇帝ナポレオン、ロシア遠征で惨敗し、勢威に陰りが生じる。 |
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1813 |
ヴィーンに移り、大学での法律の勉強を始める。 |
ヴァーグナー生誕(5月22日)。 ヴェルディ生誕(10月9日)。 対仏同盟軍、ライプツィヒの会戦(10月)に勝利し、仏皇帝ナポレオンを退位に追い込む。 |
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1814 |
自作の《12の狂詩曲》op.1 (全曲の完成は1818年)がベートーヴェンに称賛される。 |
ナポレオン、エルバ島へ流刑。 メッテルニヒの差配の下、ヴィーン会議開催(9月〜1815年6月)。「会議は踊る、されど進まず」。 |
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1815 |
「ヴィーン楽友協会」で働き始める。ここでは最初はコレペティートル、後に次席及び主席カペルマイスターに就任している。 |
J. J. リバ死去(4月8日)。 メルツェルがメトロノームを開発。 ナポレオン、エルバ島を脱出して百日天下。 ビスマルク生誕。 |
変奏曲 op.19(1816年?) |
1816 |
フンメルの後継として、フンメルの生徒を全て引き受ける。 |
パイジェッロ死去(6月5日)。 |
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1817 |
ヴィーン音楽院創立。 |
《幻想曲》op.12 《即興曲》遺作 |
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1818 |
キーゼヴェッターの推薦により、ヴィーン楽友協会管弦楽団の指揮者に就任する。 宮廷オルガニストの職に初めて応募するも、採用されず。 |
ベートーヴェン、難聴が悪化し、筆談帳を使い始める(3月頃) コジェルフ [Koželuh, Leopold Jan Antonín] 死去(5月7日)。 |
《12の狂詩曲》op.1(1814?〜) |
1819 |
《ヴァイオリンとピアノの為のソナタ》op.5 |
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1820 |
《グランド・ロンド》op.25(1820〜) |
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1821 |
ナポレオン死去。 |
《6つの即興曲》op.7 |
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1822 |
この年の11月26日に死去した宮廷第二オルガニストのヨハン・ヘンネベルクの後任の職に応募して採用された(1月10日)。応募者の中には、当時きっての対位法の大家ジーモン・ゼヒターも名を連ねていた。 |
ロッシーニ、4〜7月の自作上演の為ヴィーンに滞在。 フランク誕生(12月10日)。 |
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1823 |
交響曲ニ長調 op.23(1822〜) |
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1824 |
宮廷第一オルガニストのヴァーツラフ・ルーシチカが死去し、その後任に就く。 休暇中にグラーツを訪れる。当地の「シュタイアーマルク楽友協会」はヴォジーシェクを名誉会員にした。 夏にカルロヴィ・ヴァリと故郷ヴァンベルクを訪れるが、病気に罹りヴィーンに戻る。 |
スメタナ誕生(3月2日)。 ブルックナー誕生(9月4日)。 ベートーヴェン 第9交響曲 op.125(1818〜) |
ピアノ・ソナタ 変ロ短調 op.20(1820〜) |
1825 |
ヴォジーシェク死去(11月19日)。 |
ベートーヴェンの第9交響曲初演(3月21日)。 サリエリ死去(5月7日)。 ハンスリック誕生(9月11日)。 ヨハン・シュトラウス二世誕生(10月25日)。 |
ミサ曲 変ロ長調 op.24(1824〜) |
1826 |
ヴェーバー死去(6月5日)。 |
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1827 |
ベートーヴェン死去(3月26日)。 シューベルト《4つの即興曲》D899, D935 |
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1828 |
シューベルト死去(11月19日)。 |