作品紹介

「気分・印象、そして追憶」

Nálady, Dojmy a Upomínky, Op.41, 44, 47 & 57

作 曲:1892~1899年
形 態:piano, 2 ms
初 版:
初 演:

このタイトルをつけられた作品は、Op.41, Op.44, Op.47, Op.57 の4作品で、全てピアノ独奏のための曲集である。
楽譜は何れも作曲後数年以内に出版されたが、最後のOp.57だけはフィビヒの生前に出版が間に合わなかった。
1曲1曲に作曲した日の日付が書き込まれており、これはSupraphon社版の楽譜でも見ることができる(Bärenreiter, Praha社になってからの楽譜については未確認だが、恐らく一緒であろうと思われる)。Supraphon社の前身の1つであるFr. A. Urbánek社の版では、Op.57の第2巻の第6曲(第365番)以降の曲には日付の表示がなく、これは自筆譜にもないらしい(c.f. ZDENĚK FIBICH TEMATICKÝ KATALOG)。

1874年、24歳にして早くも妻を亡くしたフィビヒは、亡き妻の生前の願いを容れ、4歳年上になる妻の姉・ベッティ[Betty]と再婚した。しかし、更に1891年、1893年と、姉と母を亡くしたフィビヒは、18歳年下のアネシュカ・シュルゾヴァー [Anežka Schulzová] と急速に親しくなっていった。彼女は文豪シュルツの娘で、当時彼の作曲の教え子でもあった。
アネシュカは、その美貌もさることながら、フランス文学を翻訳して国内に紹介したり、小説を発表したりするなど、その才女ぶりでも良く知られていたという。彼女はその後、フィビヒのオペラ作品のための台本も書くようになるなど、創作にも大きな影響を与えるようになっていく。
そして1897年の秋、フィビヒは妻子を残し、国民劇場からほど近いプシュトロス通りに、アネシュカと共に移り住んでしまった。
フィビヒは、そんな彼女と過ごした幸せな日々の思い出を、日記のかわりに、豊かな旋律と和声を湛えたピアノ曲で綴っていった。そうして出来たのが、376曲からなるこの作品である。

他の数多くの作品との関連性も指摘できることから、フィビヒの創作の源泉であると同時に、集大成とも言えるだろう。なかでも「ジョフィーン島の夕べ」と題されたOp.41-139 (No.139) の旋律は、「管弦楽の為の牧歌《黄昏》Op.39」の中間部に既に用いられていた他、後にヴァイオリニストのヤン・クベリーク(指揮者として著名なラファエル・クベリークの父。日本ではクーベリックと表記されることが多い。)によって、ヴァイオリンとピアノのための「詩曲」に編曲されるなど、フィビヒの作品の中でも最も知られるものとなった。

プラハ市内のヴルタヴァ川に浮かぶ、ジョフィーン島ホール(ジョフィーン館)正面の壁には1999年10月15日、フィビヒを称えるレリーフが飾られ、そこにはこの旋律も一緒に刻まれている。



ジョフィーン館と国民劇場
ジョフィーン館と国民劇場。 2人はこの近くに住んでいた。



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